母が亡くなり7回忌を迎えました。
平成19年11月多量の下血のため病院に救急搬送され、「末期の胃癌です。もう手の施しようがありません。桜を見れるかどうかわからないです。」と担当医より説明を受けました。それまで特に症状もなく普段と変わりなく生活していたので本当に驚きました。ケアマネジャーとして働いていた私は在宅ターミナルの方の支援も経験はありましたが、そんな経験も吹っ飛んでしまうほど実際はうろたえました。
急性期の病院に入院していた母は転院か在宅にもどるか、早く結論を出さなければなりませんでした。実家に姉家族と住んでおり、その当時車いすで排泄介助も必要な認知症の父の面倒を姉がみていました。デイケアに行くたびに嫌がる父をなんとか行ってもらうようになだめるのに一苦労。そして姪の大学受験が目前に迫っていました。そんな状態でターミナルの母を実家に帰すのは、大変だということは明らかでした。「家に帰してあげたい」と思いながらも私は口に出して言えませんでした。私は仕事を辞めるわけにもいかないし、どうすればいいか頭の中でグルグルといろんな思いだけが回っていました。
そんなある日、担当の先生から姉に夜遅くに電話がありました。「岸和田には在宅ターミナルケアをしてくださるいい先生が何人もいるので家に帰ったほうがいいですよ。」私が言葉にできなかったことを先生は言ってくださいました。(当然ケアマネジャーとして岸和田の在宅ケア・ホスピスケアの情報はもっていたのですが・・)
先生の言葉に後押しされ母を家に帰す準備に入りました。すぐに姉と二人でA先生に相談に行きました。1時間ほどとても丁寧に先生が話をしてくださいました。家で最期を迎えることは病院で最期を迎えることとどう違うのか、告知について、家族は何を大切にすべきかなど色々な話をしてくださいました。
そして退院し母は家に帰ってきました。退院したころはまだ元気で話もできました。でも残された時間はわずかとわかっていたので、何をするにも「これが最後かもしれない」と考えるとすべてが有難く大切に思えました。いつも行く美容院に行っていつもの会話を楽しんでいる母の姿。すっきりときれいに整った髪形の母の姿。ごはんを口に入れている姿。お茶を飲んでいる姿。すべてが大切な時間でした。
目に見えて衰えていく母の姿を見ながら、残された時間が迫っている現実に向き合うのは大変でした。でもたくさんの人の温かさを感じることもできました。A先生は寒い中、往診に来てくださり、冷たい手で聴診器を当てるのを気遣い、何度も手をこすって温めてから聴診器を当ててくださいました。看護師さんはいつも優しい声で「いかがですか」と聞いてくださいました。大晦日も元旦も来てくださいました。ヘルパーさんとは母は色々な話をしたようでした。娘の私たちには心配かけまいと言えなかったのか「もう、あかんと思う。」とヘルパーさんにだけは言ったようでした。訪問入浴の方にも来ていただいたので最後まで体はとてもきれいでした。
思ったよりも症状の進行は早く、退院後2週間ほどで食べるものを徐々に受け付けなくなりました。栄養補助ゼリーや総合栄養剤も数日で受けつけなくなりました。数日で体が点滴をも受けつけることができなくなりました。「これ以上点滴を続けると本人にとって苦痛でしかないです。点滴をはずしましょう。」と先生の言葉を聞いたときは正直ショックでした。でも点滴を受けることで体のむくみがひどくなるだけ、本人にとって苦痛なだけだということをA先生は丁寧に説明してくださり納得することができました。
点滴をはずした後は、もちろんモニターなどもつけず普段とかわらず、いつものパジャマを着ていつものベッドで横になっていました。
そして退院し家に帰ってから40日目、年が明け元旦の日、孫たちが久しぶりにみんな集まり、母のベッドのそばでご馳走を食べながらにぎやかな時間が過ぎました。きっと孫たちの笑い声を母は聞いていたと思います。孫たちにお年玉をあげるのを楽しみにしていた母は5人の孫にそれぞれお年玉をあげました。直接手渡すことはできませんでしたが、しっかりと目を見て伝えていました。その1時間後、様態が悪化し意識がなくなりました。母はなんとしてでもお年玉を孫たちにあげたかったのだと思います。
亡くなる1週間前くらいから交代で母のそばにいました。夜中、静けさのなか母の息だけが聞こえる時間。息づかいを聞いていると少しずつ変化しているのもよくわかりました。苦しそうになったり、弱々しくなったり。母と二人の時間の中、今まで面と向かっては言えなかった感謝の言葉を母に伝えることができました。とても貴重な時間でした。
そして1月3日安らかに息を引き取りました。悲しみは当然ありましたが、不思議と何か充実感のある感じもしました。今でも孫たちがはっきり覚えているのは、亡くなった後、優しい看護師さんが「おばあちゃんのからだをきれいにしましょうね」と孫たちに声をかけていただき、みんなでで体を拭いて、着替えをしたことだそうです。亡くなった体を触る抵抗感など全くなくて人間は死んでいくということを自然に心と体で感じたと思います。母の死を通して、本当にいろいろなことを教わることができました。ありがとうございました。